石畳に転がる、背後から切り捨てられた男性の遺骸。
苦悶に歪む彼の顔。その無惨な姿に、もはや驚く者は居ない。
ロブJ、ルシアンの二人は死骸と土煙の舞う市街地の路上を駆け抜けていた。
弓を手に、腰を屈めて先導するルシアン。右手に軍刀、左手にはナイフを持ったロブJが続く。
他の分隊が四人編成なのに、彼らが二人だけなのには相応の理由がある。
「ロブ、肉屋の裏路地。2時の方角に敵兵3」
あたりは略奪の喧騒に包まれているに関わらず、ルシアンの長い耳が音を捉えた。
頷くロブJ、明瞭な頭脳が歩きながら作戦を立て、次の瞬間には指示を出す。
「リュア、君は肉屋へ上がれ。俺が"見せる"。」
それだけ聞けば、ルシアンは無言で頷く。音も無く肉屋の戸に滑り混めば、闇の中に消えていく。
ロブJの行動は早い。
軍刀を引っ提げて、大柄な体躯を揺らし足音高らかに駆けていく。
朱地に金刺繍の準士官制服が映える、堂々たる武者振りで。
一方その頃。
街娘ノエルは人生最悪の日を現在進行形にて経験中だった。
南門付近に商家を営む生家は、グロース軍の襲撃で真っ先に焼かれ。
両親も、家人の安否も解らぬまま、武器を持って迫る男達から逃げようと。細い脚で必死に駆けてきた……否、"駆けている"のである。
「――…んのクソアマぁ…!俺の顔に傷つけやがって。てめぇの顔も二度と見れなくしてやるッ!」
「落ち着けよヨッヘン、ありゃそういう壊し方をするには惜しいだろ?その辺の売女と違って清楚で恥じらいがある。 ……それをじっくりいたぶるのが戦場の楽しみだろうが。」
漆黒の革鎧を着崩し、垢と汗を染み込ませた戦場姿の男達。
手にはメイスやフレイルを。口には野卑た笑みを浮かべ、圧倒的優位な略奪に高揚している。
むろん、すべてのグロース兵が邪悪なわけはないし、ニテンス、アノンフィルとて同様である。
しかしこれは、富の略奪を司る"軍隊"には避け得ぬ本質的な特質だった。
ルシアンは身軽に階段を駆け上がり、路地裏に面した部屋に飛び込めば窓に駆け寄る。
窓にぶら下がる邪魔な干し肉を除けるついでにサイドポーチにほうり込み、足場を確保すれば闇に紛れて通りを見遣る。
「……きゃ!」
身なりの良い黒髪の少女が顔から転んだ。
脚をくじいたのか、右足を抑えながらもがく少女。
走りを止めた男達、野卑な笑みを浮かべ、武器を肩に乗せて彼女に歩み寄る。
「…、……こ、こないでください。」
悲しげな双眸で見上げる視線は、肉食獣に追われる雌鹿のようで、その抵抗はあまりにはかない。
野に咲く一輪の花がケモノに手折られようとしている。
されどルシアンは静かにその様を眺め、ただ機会を待つ。その瞳には一点の情動も感じられない。
顔に傷のある男が少女に馬乗りになる。
暴れる少女の脚より太い腕で抵抗を押さえ込めば、怒りの形相で少女に顔を近づけた。
汚れた茶と、純白のコントラスト。
少女の可憐な涙が。一層その場の悲哀さを引き立てていた。
「…今さら"ごめんなさい"っても許さねぇからなぁ…?……さて、まずは味見を…。」
男がざらついた舌で少女の白い肌を這わせる。涙を流し、小さく身震いする少女。もはや彼女に耐える以外の選択肢は残されていない。
「…ッ、………ッ…ッ!」
抗うように、あるいは何かに助けを請うように空を見つめる。
皮肉なくらい、青い空。透き通る青は、まるで相争うヒトを嘲笑うかのように美しかった。
それに耐え兼ねて視線を逸らした少女の瞳に――軍靴の茶色。目で追えばアノンフィル軍の、堂々たる朱の軍服が佇んでいた。
ロブJは目の前の光景を認識しても、眉をほんの少し不快そうに寄せただけだった。
軍刀を引っ提げて、堂々と道の真ん中を歩いて彼らに近づく。
あたりを見張っていた痩せ男の野卑な笑いが消え、判じつかぬ戸惑いの表情で傍らの戦友の肩を叩く。
そうしながら彼は、ある疑念を抱いた。
(なぜ奴は一人だ…?――…伏兵か、どこに居る…?)
当然湧いてくる懸念に、鋭い目つきで周囲を観察するも、あたりは廃墟のように静まり返り、遠くで略奪の音がするのみだ。
人の気配はない……。
一方。楽しみを遮られ、不満の声をあげながら視線をあげた傷のある男は、やはり唖然と顎を開いた。
ともあれ、彼はベテランの兵らしく冷酷な無表情を浮かべれば、フレイルを手に無言で立ち上がる。
その際、予期せぬ反抗を防ぐために朱い上衣の青年を睨んだまま――少女の腹部に踵を落とした。
「――…ッ!…、…あ……ガッ。」
苦痛のあまり丸くなる少女。
睨む黒塗りの傷男。
一定の歩調を維持するロブJ。
痩せた男はやや退いた位置でメイスを構える。
少女の呻きと、遠方の略奪を向こうに。お互いの息遣いを感じながら間合いを詰めていく。
緊張と沈黙。
先にそれを破ったのは、黒塗りの傷男だった。
フレイル、鎖の先の凶悪な鉄球を振り回す。切り裂かれる空の悲鳴を聞きながら、凄みを効かせて口を開く。
「……邪魔すんのか、坊主。――こっちは二人でベテラン、てめぇは図体こそでけぇが……ヒヨッコだろ? 今すぐ武器を捨てて降参すりゃ、命は助けてやるぜぇ。」
むろん、そんな保証などどこにもない。
ただ獲物を前にして、こんなヒヨッコ相手に時間を取られるのが耐え難い故の発言だった。
しばしの間。
お互いに間合いを計り、足を進める沈黙の中。カトラスを構えてロブJが口を開く。
「…、……アノンフィル軍規、第一項。」
男達が眉をあげ、怪訝そうな視線を向ける。うずくまる少女でさえ、涙で滲む視界をもって彼を見る。
それは淡々と、けれど堂々とした立ち姿。
「我が軍は国王、及びその庇護下の民の為に存在する。」
男達が間合いを詰める。左右に展開し、ロブJに数を活かした戦いを挑むつもりなのだろう。
ロブJはその様を見つめる。口を開く。
「アノンフィル軍規第二項。国王及び国民に仇成すあらゆる勢力を赦すべからず。――…よって、」
軍刀を二人の間に突き出した。そして不遜に笑う。そしていかにも役者ぶった、皮肉めいた口調で宣う。
「貴公の提案には従いかねる。なぜなら……軍規違反は縛り首だからさ!」
士官ならば1番最初に習う、基本中の基本にして。最も忘れてはならぬ軍隊の枷。同時に、最も忘れられやすい約束。
故に人が真面目それを語るとき、人々は失笑するか目を逸らすものだ。しかし彼は堂々不遜に笑って言ってみせた。――…彼の故国独特のジョーク的言い回しを添えて。
しかし、さような文化など知らないグロースの兵らは。彼の国流に真摯に、そして容赦無く攻撃動作に移る。
メイスを持った痩男が足を引き、腰を落とした。そして長い手足を用いて牽制の一撃を繰り出す。
「…、……。」
バックステップによって容易にかわされる一撃。傷男が凶悪なフレイルを手に、すかさず間合いを詰める中、彼の疑念はますます高まっていく。
(…なんだ、この余裕は……ッ!やつは一人のヒヨッコだ。勝ち目はない、狂ったのか?)
場数を踏んだ傷男の殺意ある連撃を、ロブJはギリギリの回避ではなく、予め行動を読んだかのような余裕あるステップで避けていく。
(――…いや、それにしては回避が的確。奴は"恐ろしく"冷静だ。……何をたくらんでいる?)
その攻撃力から、仲間内では"ミンチメーカー"の異名を取る傷男。
しかし、単なる力自慢など戦場にはいくらでも居る。彼が今まで行きのこってこれたのは、"蛇の目"とあだ名される痩男が居たからだ。
彼は明確に"殺気"を感じ取り、その方角と距離まで正確に割り出す力を持っている。それゆえ、傷男は奇襲や待ち伏せに怯えず戦っていられるのだが。
(……、嫌な予感がする。なんだ、この胸騒ぎは。)
それを目前の傷男に伝えようと口を開き――閉じた。
傷男は善戦している。未だ有効打はないものの、着実に間合いを詰め。次第にロブJは後退していく。
回避も先ほどの"先読み"から、余裕のないギリギリの回避になり、小さな切り傷が血だまりを形成しはじめていた。
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