以下本文。
――1659年 アルノール、モルグル間上空
一隻の小型空中艦が空を行く。
鉄板をリベットで溶接した厳つい外装、箱型の艦形の側面からは砲列の先が並んでいる。 文明の温かみの一切を感じさせない外装に違わず、乗り手たちは残酷さで知られるモルグルの空族達。なめし皮のような黒の肌を持つ子鬼、オーク種らが忙しく船内を駆け回っている。
「働け!働け!グズどもが。怠ける奴には俺様がたっぷり鞭をくれてやる!」
他より一回り大きな体を持ち、ゴワゴワした革鎧に身を包んだオークの2等士官が叫ぶ中、オーク兵らはおぞましい呻き声を上げつつ仕事に励む。
彼らが向かう先はアルノール。既に屈服させ、隷属させた大陸に住む人間どもとは違い未だに抵抗を続ける愚か者どもの国。浮かぶ島、浮遊大陸に国を持ち、忌々しい空軍がモルグルに立ち向かってくる。
オークの艦長がキャビンから甲板へと顔を出した。頬の傷は歴戦の印、悠然とした足取りで働く者たちを見やる彼の心は、あせりに満ちていた。
「副長よ、速力はどうだね」
傍らの年かさのオークが答える。
「順調ですだ親方、風石の光具合も申し分ない。この分なら忌々しいアルノールのトカゲに見つかることもなく、連中の村をたっぷり食えるでしょうよ。」
ニヤリと笑う彼の足元、舟艇にある爆弾投下口には、火薬を満載した鉄球がところ狭しと張り付いて、下の人間をウェルダンに焼き上げようと待ち構えている。そんな副長の表情に対して、艦長はうなずきつつも一抹の不安を隠しきれずにいた。
そんな彼の予感は的中する。
「――親方ァ! 上空に何か見えた気がするだ。トカゲかもしんねぇッ!」
艦長は節ばった手で副長から望遠鏡をもぎ取ると、上空、雲の隙間へと目を細め……。
「……な。」
手に持つ望遠鏡を、落とした。
――10分前、空賊艦上空、白い雲の隙間にて。
空賊艦が飛ぶ遥か上空を一匹の小型竜が飛んでいた。
翼を大きく広げ、滑空する姿は巨大なワシを連想させるが、その体はトルマリンブルーの輝く鱗に包まれて、大空の青と白のコントラストによく映えていた。その首筋に、一人の青年、否、少年が跨っている。
竜と同じブルーの長い髪を風に靡かせ、吹き付ける風に目を細めて下方を見下ろしている。少女めいた風貌、長い髪も相まって、竜に跨るその姿はとても場違いなものだったが。
「ジェントルマン(諸君)、自信がもてなくてもいい、何か見つけたら迷わずに教えてくれ。」
そう叫ぶ彼に、竜の背に詰める兵らは一様に頷いた。彼は紛れもなくアルノール空軍の士官であり、濃茶色の軍服の襟には、菱形の階級章が一つ輝いていた。
「しかしルテナント(少尉、中尉を指す。)ルシアン、本当に奴らはここを通るでしょうか。」
弓を手に、不安げに尋ねるのはルシアンと呼ばれた少年より遥かに大きな体格を持つ青年兵だ。そんな彼に、ルシアンはニヤリと笑って答える。
「保証しよう、奴らは必ずここを通る……なぜならこの先には、奴らの大好物である人間の町があり、両脇の空域には奴らの大嫌いな清浄な風が吹くからだ。 よほどのことがない限り、―奴らは、比較的空気の淀んだここを通るさ。」
なおも不安げに眉を寄せる青年に、ルシアンは悪戯っぽく唇を尖らせる。
「ふふっ、コーポラル(伍長)バーシス。君は連中が嫌いな風を我慢してまで迂回するほど勤勉だと思っているのかい?」
バーシス伍長は顔を赤らめ、「し、失礼しました。サー!」と引き下がる。そんな彼を幾人かの仲間が生暖かく笑っていた。―そんな和気藹々とした雰囲気を、竜の腹に体をくくりつけた観測兵の叫びが突如引き裂く。
「――下方! 雲の下、モルグル空賊艦です…! 数は…、一隻!」
竜の背に乗る兵らの顔に緊張が走る。対するルシアンは、下方へ目を細め…獲物を見つけて。
(ミィィツケタァア…)
ニィィィ、裂けるような笑みを浮かべて、瞬きもせず大きな瞳を下方の黒点に向けている。身の内から湧き上がる戦いの恐怖は、自動的に殺戮への喜びへと変換されていき、脳内ではアドレナリンが急速に分泌されていく。
戦いの予感に恍惚とし、赤みを増した唇で部下へと叫ぶ。
「――備えよ、兵士たち。 僕たちはこれより”狩り”をする、国王陛下と空軍に栄光を、君たちの奮戦に期待する。」
竜の戦闘単位は、竜の首に跨るキャプテン…海でいうところの船長に指揮を委ねられている。彼の声を聞くや、訓練されたアルノール空軍兵らは斧を研ぎ、弓の弦を弾いて戦いに備えている。来る殺戮に怯える者、神に祈る者、熟練者はただ淡々と身の内の感情と向き合っていたが、先頭のルシアンは獰猛に笑って振り返り、彼らに好奇の視線を向けている。
「ふふふ…、思い描いてごらんよ。あのピッグども(オーク)を、このエミアの」
火吹き竜の首を親しげに、そっと叩いて。
「吐息で丸焼きにしてやるんだ。逃げ惑う連中に、これまでの蛮行のツケを支払わせてやる。背中をこれでもかというほど矢で苛み、連中が疲れきったら、剣を抜いてエミアから飛び降りよう。――…想像してみなよ? 奴らの船を拿捕し、国家から支払われる拿捕賞金の味をさ。」
狂気と、狂喜に満たされた金色の瞳が兵一人一人の眼を捕らえていく。まるで内なる狂気に引きずり込むように、誘うように彼は笑う。熟練兵も笑った、新兵は半ば怯えつつも、わけのわからぬ高揚感を身の内に感じて感覚が次第に麻痺してくるのを感じていた。
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